神々が創造した『御沐浴塩』と古事記からの学んだこと

今年も6月21日の夏至が過ぎました。

特に今年は372年ぶりに、夏至の日に部分日食が重なるということもあり、とてもパワーの強いと言われていました。

夏至のタイミングは、私たちが身につけている不要なものを手放すチャンスであり、私もそれを強く実感しました。

今回私が何に出会い、どんなことが起こり、何を感じたのか、私の体験談をお話します。

夏至の禊(みそぎ)

今の時代、私たちはアセンションに向かって進んでいます。

さらに細かく言えば、個人がそれぞれに意識を上げる、波動を上げることが求められています

コロナウィルスによって、社会の様子がどんどん変わってきていることも、その流れのひとつなのだと思います。

断捨離をしたり、身体を軽くしていったり個人個人で波動を上げていく作業が加速される中、最後に残るのは、感情の整理。最後に残った浄化しなければならないものは、自分の心。

自分の心の周りに長年こびりついていたネガティブな感情を取り除く作業です。

夏至というタイミングは、この強いエネルギーを仮りて、心の浄化、ネガティブな心を洗い流すこと、つまり「禊」を行うために最適な時期でした。

 

神聖なバスソルトとの出会いと古事記の話

神々が創ったバスソルト

最近、私は佐藤玲奈さんという方が発信しているYou TubeDiva  Channelをよく聴きます。メンターから教えてもらった情報です。

このブログから『天津祝詞(あまつのりと)の御沐浴塩(ごもくよくじお)』というバスソルトを購入しました。

夏至の数日前にそのバスソルトは私の家に到着しました。

 

gomokuyokujio

左の麻袋の中にバスソルトを入れて、バスタブで溶かします。

 

なんとも可愛らしいパッケージなのですが、このバスソルトは、市販の化粧品雑貨として売っているバスソルトとは全く違うものです。

ブログを主宰する佐藤玲奈さんが神々の存在とコミュニケーションし、共同創造して生まれた聖なるバスソルトなのです。

今、私が持っている感情を浄化するために、出会うべくして出会ったもの、と感じました。

 

古事記の話

このバスソルト制作の背景には、古事記のストーリーが元になっていると聞きました。

(私は古事記スペシャリストではなく、あくまでも自分が聞いたことを感じたまま書いています。ご指摘などございましたら、当ブログのお問い合わせ欄からご連絡いただければ幸いです。)

 

古事記 伊邪那岐命(イザナギノミコト)の話
伊邪那岐命(イザナギノミコト)は、愛する妻、伊邪那美命(イザナミノミコト)との別れがとても辛く悲しく、黄泉の国(死後の世界)まで自ら会いに行ってしまう。
しかし、そこで「覗いてはいけない」と言われた約束を破ってこっそり妻の姿を見てしまう。
すっかり変わり果てた妻の醜い姿に驚き、悪霊たちに追いかけられながら、必死で逃げ帰る。
イザナギノミコトは、疲れ果てて戻り、黄泉の国へ行って穢れてしまった自分を見た。
すべてを「禊」で洗い流すこととした。
衣服、杖、すべてを捨てて、海と川が交わる場所で、全身の禊を行う。
洗い清めるたびに、そこから多くの神々が生まれた。
左眼から天照大神、右眼から月読大神、鼻から素戔嗚尊(スサノオノミコト)。
それが日本の国の始まりとされる。
そして伊邪那岐命は3日間の休息ののち、すべてが新しく生まれ変わり、次のステージ、パワフルな状態に変化した。

 

この神々と同じ禊の体験を、この『御沐浴塩』というバスソルトを使うことによって、自ら7日間で体験できるようになっているという神聖なものでした。

 

さて、古事記は、日本最古の書物と言われています。

でも今の時代にぴったりあてはまる内容だったことには本当に驚きました。

古事記に出てくる神様たちは、確かに神様なのですが、自分の感情と葛藤し、悩み、内面を見つめて自分が変わろうとしている姿を知ることができます。

 

例えば、

イザナギノミコトは、妻イザナミノミコトのことが忘れられず、「もう一度どうしても会いたい」と思った。そして行ってはならないはずなのに、死後の世界・黄泉の国まで一目会うために、追いかけていってしまった。

 

イザナミノミコトは、夫が追いかけて黄泉の国まで来た時に、「待っていたのに遅いわ。遅いから、ここの世界のご飯を食べてしまった、だからもうあなたとは帰ることができないの。」と言った。

 

nocco
男女間の執着や依存、駆け引き。
これって、三次元世界の男女のコミュニケーションと同じなのでは?

 

 

イザナギノミコトは、夜中、妻イザナミノミコトの姿を絶対に見ないように言われていたのに、こっそり見てしまった。醜い姿を見られた妻は、怒りをあらわにして、追いかけてきた。

nocco
自分の醜い容姿を見られることを強く恥と思う感情。
自分の見た目をよく見せたい気持ち。
美容業界にいる私には切実な話。
自分に自信がないことの現れ?

 

 

イザナギノミコトは妻や悪霊に追いかけられながらも逃げ帰り、「自分はどうしてこんなことをしてしまったんだろう」と反省し、禊を決意する。

nocco
自分の行いを振り返る。素直に認める。そしてそれを手放して、新しい自分になろうとする決意?

 

この古事記のストーリー、男女間に起こる様々なストーリーには、周囲との男性性女性性の関係の作り方、さらには、自分の中にある男性性と女性性のバランスの整え方を学ぶエッセンスがあると気づきました。

失礼を承知で言うならば、神様も私たちと同じ感情を持って悩んだり悲しんだりしていたんだな、と知ると、神様達が遠く離れているのではなく、何かとても身近な存在に思えました。

 

では、イザナギノミコトが決意した、禊とは、何か?

「禊」とは、自分の持つ穢れを洗い清めて悔い改めをし、
全く新しく生まれ変わること。

自分の行い、自分の持っていた感情を素直に認め、
それをやめよう、手放そうとすること。

それが禊であり、フィジカルなもの(物理的なもの)を超えた、さらに心の奥底からのの浄化、ヒーリングを意味するのだと思います。

 

イザナギノミコトとイザナミノミコトの探究

古事記のストーリーを今回聞いて、自分の3年間の探究を振り返りました。

実は、巡礼トレイルと称し、神社巡りの祈りの旅を続けてきた中に、このイザナギノミコトとイザナミノミコトに関連する場所に行っていたことが今になって分かりました。

私たちは巡礼をしながら、この神様達からのサポートを受けて、探究をしていたということ。

①多賀大社(滋賀県多賀町)

イザナギノミコトが晩年を過ごしたと言う琵琶湖・湖東地方にある多賀大社。

イザナギノミコトとイザナミノミコトが御祭神です。

苦しみや悲しみを乗り越えて、多くの神々を産み、それまでを振り返りながら穏やかにこの地で暮らしていたのでしょうか。

 

tagataisha

この門をくぐると、広い清々しい本殿と庭園が現れます。

 

このエリアを訪れ、夕日を浴びてマインドフルネスをした記録をここに残しています。

②花の窟(はなのいわや)神社(三重県熊野市)

熊野三宮を巡った際に、ここに行きました。

イザナミノミコトが葬られている墓陵。

花の窟神社は、古くから「黄泉の国と接する場所」と信じられていた場所で、よみがえりの聖地と言われている場所です。

この岩の前で私はあるメッセージをはっきりと受け取りました。2019年10月10日のことです。

 

hanano iwaya

花の窟入口。この参道をまっすぐ進みます。

hananoiwaya

とても高いエネルギーに満ちていました。

 

夏至の体験

さて、この「御沐浴塩」を7日間に渡って使い、自分の中の変化を見てきました。メンターともその都度シェアしていきました。

スパ的視点からの、バスソルトやスクラブの効果

セラピスト目線から見た、このようなソルトやスクラブを使った老廃物を取り除くエステ(デトックス トリートメント)の効果とは、

・身体を温めて循環を高め、発汗などを通して老廃物を体外に排出させる。
・新陳代謝が活発になり、身体の中から新しい細胞の生まれ変わりを促す。

新しい細胞が下から押し出されるためには、まず、こびりついた古い老廃物を捨て去らないと上がってくることができない、だから、古いものは捨て去ろうという発想です。

(韓国垢すりや全身ボディスクラブやヴィシーシャワーなどもこの考え方に基づいています。)

 

『御沐浴塩』はエナジーヒーリングソルト

同じ理論でありながら、今回の「御沐浴塩」は、さらなる上のステージを行く神聖なもの。

物理的なものだけではなく、さらにその外側、身体エネルギーの周りの汚れを取り除く作用があるのです。言い換えれば、エナジーヒーリング ソルトと言えるでしょう。

今まで心の中に少しずつ浮上してきていたネガティブな想念を、この強力なバスソルトを使って一気にはがし、外に捨て去る作用。

身体も心も浄化のプロセスは同じです。

古いものを捨てないと、新しいものを手に入れることはできないのです。

 

私は実際に、7日間で、この聖なるバスソルトを使って、身体は熱く、時にはだるく感じながら、自分の身体の変容を体感しました。

その間自分の中にあったネガティブ想念、言い換えれば恐れや不安感をみつけて、手放していく作業でもありました。

 

スピリチュアル ウェルネスの時代へ

巡礼トレイルで祈りの旅を続けた3年間で、チャクラの学びを繰り返しながら、少しずつその汚れが浮き上がってきていました。

旅に出た先々で浮上する感情。

それを一気に洗い流すことができた夏至の禊。

イニシエーション(通過儀礼)であり、総決算のような出来事でした。

 

心は、エステ後の肌のように、触ってみてツルツルになった感触や、見た目のツヤ感で確認できるものではありません。

でも、心の浄化の結果は、私たちが発する言葉や行動、自分の思考(マインド)の変化によって実感できると思います。

これから求められるのは、フィジカル ウェルネスの先を行く、スピリチュアル ウェルネス

「禊」はそのために不可欠なプロセスなのだ思います。

今日は神秘的なバスソルトと出会い、古事記のストーリーから学んだこと、そして私の体験をお伝えしました。

nocco
読んでくださってありがとうございました。