私は50代になってから、ライフスタイルも考え方も大きく変わりました。
それまでのストレスいっぱいの生活から離れ、心穏やかな毎日が続いています。
今回は、私が50代半ばにして、どんな風に自分に気づき、どんな風に変わっていったのか、そのきっかけから変化までのプロセスを振り返ります。
次々に起こるトラブル
私はお酒を飲むことが大好きでした。
元々お酒が強い家系だったこと、パリに住んでいたので飲酒がとても身近だったこと、お酒を飲む仲間が沢山いたこと、理由はひとつではない気がしますが、とにかく飲まない日はありませんでした。
40代後半になると、仕事のストレスも加速してアルコール量はますます増えていきました。
50歳にまもなく突入するという頃、身の回りに事件が次々に起こり始めました。
1. 顔のやけど
50歳の誕生日の1ヶ月前のある春の週末、いつものように泥酔して帰宅し、ベッド頭上近くのコンセントにコードを差してiPhoneを充電したまま眠ってしまいました。
おそらく、しっかりプラグが差し込まれていなかったのでしょう。酔っ払って寝返りを打ったせいで、その充電プラグは差込口から外れ、熱くなった金属部分が私の顔に接近していたようです。
夜中、そのプラグは熱いまま、顔と枕との間にぎゅっと押し付けられて、そのまま朝を迎えてしまいました。酩酊状態だったので、途中で目覚めることはありませんでした。
朝目覚めた時の顔面の鈍い痛み。
バスルームで鏡を見ると、皮膚が直径1センチ、めくれた状態で、顔の半分は腫れ上がっていました。
自分の顔に垂れ下がった皮膚の断片を見て、血の気が引きました。
焦ってすぐに駆け込んだ皮膚科医の診断は「低温やけど」。
低音やけどは、皮膚のかなり深い部分まで損傷していることになるので、おそらく瘢痕ははっきり残るだろう、と。
気が動転しました。
幸い、皮膚科の先生の処置が的確で、痛みはすぐに落ち着き、傷はどんどん回復しはじめました。
自分が考えていた以上に、皮膚の新陳代謝は早いものでした。人間の自然治癒力というのは計り知れないものなのですね。
そんなことに感動しながら、懲りない私は、半月も経たないうち顔にガーゼを貼ったまま、またもや夜の街へ。
やけどの日に泣いたことはすっかり忘れて、反省など1ミリもありませんでした。
2. 足の骨折
次の事件は、顔のやけどから1ヶ月後に起きました。
ちょうど、50才の誕生日を迎える前日のこと。
前夜祭と称し同僚に誕生日祝いをしてもらい、帰宅しようとした時、お店の前で1回、駅の階段で1回、激しく転びました。
この時も酔って痛みがあまり感じられなかったのか、なんと家まで歩いて帰宅しました。
ところが、朝、ベッドから立つことができない。
足首は象のように腫れ上がり、くすんだ紫色に腫れている。
足をひきずるようにして近所の整形外科まで辿りつくと、「骨折」との診断でした。慣れないギプスと松葉杖で帰宅しました。
でも、この時は、まだ余裕。
ここでも懲りない私は、松葉杖でその晩の飲み会に参加しました。自分の誕生日ですから(笑)。後で聞いたら、骨折して飲酒すると骨が付きづらくなるのだそうですね。知りませんでした。
一週間後、骨がくっついていないどころか、さらに折れた場所が悪化していることが分かり、やむなく入院・手術となりました。2本のスクリューボルトを入れる全身麻酔による手術です。
手術後の激痛、むくみ、そしてつらいリハビリを経て、ようやく普通に歩けるようになったのは、5ヶ月後のこと。
もうこんな痛い骨折は二度と経験したくないなあと思いつつも、また飲み始め、手術・療養中のブランクの穴埋めをするように、飲酒量はさらに加速していきました。
と忠告してくれる友人もいました。本当にありがたい言葉です。
でも、そこまで言われても、当時の私は聞く耳を持っていませんでした。
感謝の心は微塵もなく、超傲慢な態度を続けていました。
反面、その頃は仕事もプライベートもトラブル続きで、何をやっても争いが絶えず、うまくいかない。
でも、お酒を飲んでいる時だけはその憂鬱な日々の出来事を忘れることができるので、お酒に頼る荒れた日々を続けていました。
3. 家族との別れ
そんな毎日を繰り返しているうち、さらに大きな出来事がその翌年に続きました。
会うたびに言い争いをしていた母が、突然の心筋梗塞で帰らぬ人となったのです。病院に行ってから心臓停止までわずか1時間半。あまりに突然でした。
次から次へと大きなことが身の回りに起こる。
考えても答えは出ない。
この頃から、母の遺品整理、自分の身の回りの断捨離とファスティング、どんどん身の回りのものを削ぎ落としていきました。
気持ちはずいぶん軽くなってけれど、でもお酒だけはやめられなかった。すがるような気持ちで毎晩飲んでいました。
酔うと今の悩みを忘れて一瞬だけでも別世界に行けるような気がしていました。今思えば幻想のようなものを追い求めていたのだと思います。
再生の始まり
母との別れから8カ月後、新しい風が吹きました。
ふとしたことから、後に私のメンターとなる旧友との10年ぶりの再会。
それは、スピリチュアル、見えない世界との対面でもありました。
メンターの骨折
旧友と10年ぶりの再会をして、すぐに「この人が、運命のスピリチュアル メッセンジャーとの出会いだ!」と思ったわけではないです(笑)。
その日は、スピリチュアルの話になぜか素直に耳を傾けて聞くことができた、というだけでした。
ところが、再会した約10日後、旧友は、緩やかな石段で、転び、骨折しました。それも、以前私が骨折したところと全く同じ場所の「右足首」を。
この真実をどう読み解くか。
前回の桜のアクセスメッセージと合わせて、これは旧友が私のスピリチュアルパートナーだという事実を知らせる出来事だった、と後から気づくことになりました。
「全く同じ場所を骨折する」ことで
お互いの存在に気づく
高次元の存在達からのお知らせは、こうしたシンプルで粋な方法で教えてくれます。
人間が画策するレベルではない、壮大な規模感。
メンターにとっては急に1ヶ月以上の足止めとなってしまいましたが。。
その愛のある計らいに、気づくことができるかできないか、読み解くことができるかできないかはは私たちの意識しだい。
知った時は、心が震えました。
このことに関する、高次元からのアクセスメッセージは、こちらのブログにてご覧ください。
私の目の前の世界が、想像もしていなかった方向に、勝手に進みはじめているかのようでした。
ある本との出会いから
こうした状況下で、旧友(後のメンター)と私は、京都と東京で離れていましたが連絡を取り続け、私はスピリチュアルの世界へ少しずつ導かれていきました。
毎日どんな本を読んだらいいか、瞑想はどうやったらいいのか、意識の向け方、日々の出来事のリーディングなど様々なことの手ほどきを受けました。
その頃、メンターは、私の「日々お酒に溺れている生活」を知って、1冊の本を勧めてくれました。
それは、ジョー・マキュー著 『回復の「ステップ」(ー依存症から回復する12ステップガイド)』。
克服までの12段階の方法が、がスピリチュアル的、キリスト教的な視点で書かれています。
本からの気づき
この本には、禁酒のために〇〇してはならない、代わりに〇〇をしたらよい、といったことは一切書かれていません。
依存の裏側にある自分の隠された問題、原因を徐々に見つけ出し、手放していくための方法が書かれています
その方法とは、
すべてを委ねること
信仰を持つこと
これだけではよく分からないですね。
もう少し分かりやすく言えば、
自分の内側をさらけ出すこと
この本では、依存症の裏にどんな感情を自分が隠していたのか、ひとつひとつ「棚卸し」して、その感情を認め「断捨離」をしていく12ステップが書かれています。
このプロセスを通して私が気づいたことは、
”お酒は自分が自分の感情を隠すために飲んでいたもの、心の中のネガティブな感情を見ないようにするために、アルコールを利用して依存していた。”
という真実。
ワインが好きだから毎日飲む、とか、友人と会って話すのが楽しいから飲みに行く、といった理由は、そう自分で信じたかっただけで、本当の理由ではなかったということ。
そして、その私が心の奥底に隠していたネガティブな感情とは、人への怒り、恨み、意地悪、自分の中の不安、焦り、プライド、罪悪感、自信のなさなど、できれば直接見たくない自分の中にある重く暗い様々な感情でした。
お酒を飲んで麻痺すれば、この自分の心に直視しないでやり過ごせます。お酒はこの手助けを毎日私にしてくれていたのです。
そしてこれらの感情は隠され、ずっと自分の内側に留まり成長し、何かあるごとに場面を変え相手を変えて、溢れ出てくるのだと分かりました。
それを自分で認めない限り、この先もずっと続いていくということも。
過去に封印していた辛い出来事、思い出したくない人間関係などが浮かび上がり、心が乱れました。
それをひとつひとつ思い出して、自分の中で認めていきました。
「自分が今できる限り、すべて認めて許そうと思った」という言葉が的確かもしれません。
そして読み終えて、本を閉じ直感で思いました。
その時からちょうど3年。リバウンドはありません。
闇から抜け出した私
ここまで読んでくださった方には、こう思われる方もいらっしゃると思います。
私も少し前まではそういうタイプだったのでとてもよく分かります。
この本を、私の勧めで買った友人も何人かいました。
でも、全員がこう言いました。
人生の変換期は、人それぞれ、元々決められた時期があるんじゃないかなと思っています。
私もこの本に出会うタイミングが今でなかったら、「この本、よく分からないわ」と言って終わっていたと思います。
依存症など人生の試練のようなものは、そもそも魂の計画によって決められていて、学び終えた時その試練は終わりを迎える、すべてのタイミングは元々計画で決まっているのではないか?と漠然と感じました。
そして、今はっきり言えることは、大きな変化の前には、必ず何か、気づくためのお知らせがあるということ。
私の場合は、やけど、骨折、母との別れ。
一番外側の私(顕在意識)は、気づきたくなくて、お酒を飲み続けていたけれど、自分の内側の私(潜在意識)には「早く気づいて」「早く生活を変えたほうがいいわよ」という分かりやすいメッセージを受け取っていたのだと思います。
なんとなく、「何か変だな」と思い続けていた直感のようなもの。
そこに現れたメンターの存在、最強の禁酒本。
一気に私は禁酒ゴールまで行き、スピリチュアルの方向へ大シフトチェンジをすることができました。
すべてのタイミングが「今、その時」に集約されたのです。
今世の人生の意味
50代になってからのシフトチェンジはこうして始まりましたた。
再会した旧友がメンターだったこと、自分を引っ張りあげてくれる自分のスピリチュアルパートナーだったという真実。
20年前の出会いでは早過ぎたということです。
お互いにスピリチュアルな意識も全くなく、ただ三次元世界に漂っていただけだったから。
光は闇があるからこそ、明るく輝きます。だから、若い頃に別々に闇の中で辛く苦しい体験をする必要があったのだということ。
回り道をして遅くなってしまったわけではなく、今世の私に与えられた役割がここから始まる、50代から始まるように計画されていた、ということです。それは、この時期にスピリチュアルの視点から男女性の学びをするという計画です。
母の死は私のその大きな気づきを与えてくれるための出来事だったということが、後になって理解できました。全部繋がっていたのです。
眠り続けていた本当の自分がようやく目覚める時。
こうして、私は真実を知る道を歩き始めることになりました。
この真実のプロセスを記録にここにとどめます。
皆さんも、何か身の回りに事件が起こった時、「これは何を知らせてくれているのかな、何に気づきなさいと言われているのかな」と感じてみるとよいと思います。
私のように痛くて辛い思いをしなくても、きっと何か気づくことが必ずあると思います。
*冒頭の蓮の花の写真は、京都嵐山・天龍寺で撮影したもの。真っ黒な泥の中から這い上がるようにして伸び、見事な美しい花を咲かせる蓮の花にはいつも心を動かされます。