久しぶりの投稿です。
3月末に計22年間働いた会社(フランス系化粧品会社)を退職しました。
一言で言うなら、
この記事の目次
22年の道
数年間の都内5ツ星ホテルスパでのセラピスト経験を挟み、22年のほとんどの歳月をスパトレーナーとして活動しました。
フランス系化粧品会社本社のスパ・エステ部門に所属して、セラピストや美容部員さんにその技術を教える、というのが仕事でした。
エステの技術というのは目に見えるものでなく、感覚で感じとるものです。それを伝えるための正確な言葉選びやセンスが問われ、裏付けとなる解剖学といった医学に近い範囲にまで精通していることが求められる仕事でもありました。その掴みどころのなさ故に奥深く、自分のプライドを十分に満たすものでもあったと思います。
そして化粧品業界の世界は、華やかでワクワクすることで溢れていました。雑誌や小説から伝わるそのままの世界です。新製品発表会のきらびやかな空間、パリ本社への出張、スパのトリートメントコースのクリエイション、周りの華やかなスタッフや顧客の人たちや世界各国のスタッフとの交流。
忙しいけれど、自分の足りてないものを埋め合わせをするかのように、その仕事にどんどんのめり込んでいった結果が22年の歳月でした。
訪れた気づきのタイミング
そんな華やかな世界に身をおいて、365日仕事に熱中する日々だった私に変化の時が訪れました。
4年前に今のパートナーであるメンターと再会し、精神世界の扉を開き自己探究を始めて、今までとは全く違った視点で自分を冷静に深く見ることができるようになってきました。
メンターとの出会いのプロセスはこちらの記事から。
徐々に身の回りに変化が起きてきました。
メンターから教わりながら、「あーそういうことだったのか。。。」と気づきながら、自分の感情と葛藤しながら、自分を正しい方向に軌道修正していきました。
そこでベースになったのは、数々のスピリチュアルな真実の法則です。
目の前の世界は「光と闇」でできている
まずはじめに気づいた法則。
つまりコインの裏表のように、見えていない面が必ず存在する。
私のいた美容の世界も例外でなく、深い闇を抱えていました。
女性が一線で堂々と活躍できる美容業界。「ビューティ」という分野に携わることへの高揚感。トレーナーとして人を教える仕事に対する充実感。フランス外資化粧品の長い歴史とエレガンスの中に浸る自分自身。
これは光の側面と言えるでしょう。
一方で、女性ばかりの職場では妬みや恨みからくる争いや、嘘や悪口などが日常茶飯事でした。容姿に対する容赦ない批判、セクハラ、パワハラ、一部のフランス人による人種差別。数え切れません。世の中がこういうことが法律で守られて、表立って議論されるようになったのはごく最近のことであり、それまでは日常的に遭遇し、悔し涙を流す日々でした。
これこそが闇の側面。
つまり、光と闇は、まさにセットで存在していました。
私はこんな環境の中、「楽しいことがあるんだから、辛いことがあるのは当然。仕事なんだもの。」と信じていたのですが、自己探究をして自分を冷静に俯瞰できるようになると、このことがいかに不自然で、無自覚にエネルギーをどんどん奪われて疲弊していたのか、気づくことになりました。
鏡の法則
メンターと出会ってからは、リーディングの方法を教わりながら、自分の目の前に起こる出来事を日々細かく読み解いていきました。
そこで知ったのは、
という法則でした。
自分に起こる出来事は、全部他人のせい、周りのせい、自分は悪くないのに、と思っていた私には、衝撃的な真実でした。
さらには、
私が持っていた様々なネガティブな思い。偏った思い込み。それを正面から見直すために、周りの人はキャストとして登場し、演じてくれていた。
それがスピリチュアルの法則でした。
その浮き上がった感情を自分で認めない限り、次々に形を変えて同じ様な出来事が起こるのです。
その背景には、私のことを見守ってくれている自身のスピリットや多くの高次の存在がいたということ。
つまり、私の行動を映画監督のように計画して動かしていたのは、結局実は自分だったのです。
これは私だけでなく、誰もが同じ。
こんな風に私たちは幻想の舞台で生かされていたということ。
ジムキャリー主演の「トゥルーマン・ショー」のように。プロデュースされている自覚もなく、舞台で踊っているだけということです。
始めは信じられず、さらに長い間葛藤しました。
降伏しました。すべて腑に落ちました。
そして、私が内面に隠していた感情(嫉妬心、競争心、比較する心、自己否定感などネガティブな思い、など)を、自分の中にあることを素直に認めた時点で、周りの世界がどんどん変わっていきました。
その出来事に関わっていた人が急に遠くに行って会わなくなったり、性格ががらりと変わったり、難しいなと思っていたことがあっという間に現実になったり、次から次へとシンクロが起こったりしてきました。
そして、さらに漠然とメッセージを受け取ったり、ビジョンを見るようになったのもこの頃からです。
法則を知るたびに
こうして、メンターにひとつひとつ教えてもらい、導かれながら、法則を理解していきました。
スピリチュアルは、現実逃避のためのふんわり女子っぽい世界なのではなく、まさに現実と隣り合わせで動いている、見えていないだけで超リアルな世界なのでした。そしてパズルを埋め込むように、その法則はとても論理的だということも知りました。
法則を教えてもらったら、翌日には日常生活で実践する。
スピリチュアル・プラクティスです。
そして結局気づいたのは、
意識して過ごすほど、毎日の生活が快適に、軽くなってくるのがわかりました。ストレスが消えていくのです。消えていくというよりは、そのストレスの中にダイビングしなくなって外から見るだけになる、というほうがよいかもしれません。
「今日は何が起こるんだろう。何に気づくんだろう。どんなことが起こるんだろう。」とワクワクした気持ちになりました。不思議な気持ちの変化でした。
とよく聞かれるようになりました。
内面が変わると外側も変わるのだ、と周りから言われて気づきました。
「鳥籠」から出るタイミングがやって来た
昨年の10月、阿佐ヶ谷神明宮で月読命の神様からメッセージを受け取りました。月読命の神様から。
「あなたの役割は何ですか?」
その時の記事はこちら。
もっと自由になりたいと思っていたけれど、現実的に幻想の中から脱出することはなかなか難しく、会社員という「安心・安全」が手放せず、流れを止めていたのです。
このメッセージの後に、
と強く感じ、退職の交渉を始めることにしました。
でも、22年いた会社を去ることは、重大決心です。
途中には決心が揺らいでしまうような誘惑もあり、自分の進む道が本当にこれでよいのかと躊躇してしまうような場面が何度も起きました。それはまさに「お試し=内なるテスト」でした。
流されやすい私は戸惑い悩む時期もありました。
メンターの力を借りて軌道修正しながら、周りの人たちに少しずつ理解をもらい、プロセスを一歩ずつ進めました。
そして、ついに待ちに待った3月31日、周りからいただいた沢山のギフトを手に、円満に会社を去ることができました。
今までやってきたことに対する達成感と開放感。
鳥籠から出た鳥が、澄みわたる青空へ飛んでいくような、最高にハッピーな気分でした。
人生のステージ
50代半ばまで過ごしてみて、人生は、いくつかのステージに分けられると思っています。
第一ステージは、誕生から子供時代。
第二ステージは、学校で勉強して知識を身につける時代、特に文学と芸術を学ぶ時期。
第三ステージは、社会と関わり合って仕事を通して、模索しながら人間関係の学びを積み重ね、自我を形成させていく時代。自分の価値を認めるプロセスを繰り返す時期。
ここまでがスピリチュアル的には、第一チャクラから第三チャクラまでの学びといえます。しっかりとした自我を作りあげることで、次に、周りへの愛へ目が向けられるように(利他の精神)なるのだと思います。
私は、この化粧品会社での仕事を最後に、第三ステージを終えたのだと思っています。
そして、
次の第四ステージは、愛と利他の精神をベースに、役割・使命の探究をする時代。自我が整ったことにより、それまでの経験や体験をもとに、今世で魂が決めたミッション(役割)を実行していく時期と考えています。
長い年月の間、入っていた鳥籠は、誰かに入れられていたのではなく、自分から入って自分でなかなか出ようとしていなかったことにも気づきました。怖くて出られなかったのです。
今から第四ステージが始まりました。ここからは「自由」です。
シュタイナー教育で有名なオーストリアの哲学者、ルドルフ・シュタイナーも、『人は、自身の使命と出会った時、本格的な自由が始まる』と言っています。私にとって、まさに今。
ここまで身につけたことを生かして、自分の思い描く全く新しいことを創造していこうと思います。
私のミッションは、メンターと一緒に、真実の拡大をしていくことだと思っています。
今日お伝えしたようなスピリチュアルの法則を多くの人と共有して、より幸せな毎日が訪れるように。
私たちの年代では、そろそろ社会貢献的な仕事をしたい、と言い始める人も多くいます。その第四ステージの気配を感じて、いろいろな模索している人たちなのではと思います。そんな人たちと一緒に歩き、何かの気づきになるような発信をしていきたいと思っています。
自分のやりたいと思うこと、自分のスピリットが本当に喜ぶこと、人に喜ばれることを模索し創り上げていきたいのです。
さらに先を進んでいるメンターとともに、これからの具体的なプランは進行中です。
ちなみに、メンターのブログはこちらからどうぞ。
仕事を辞めて本当に気づいたこと
会社を辞めて、やっと分かったことがいくつかあります。想像してはいたけれど、「そうだったのか」とあらためて実感した数々のこと。
1人から認められる体験と自己肯定感
私は子供の頃から、誕生日を祝ってもらったり、人からギフトをもらうことがほとんどありませんでした。
「誕生日なんて意味がない」と言う家族の中で育ち、すてきな贈り物をもらうデートさえもほとんどしたことがない。自分なんて認められない存在だ、と思い込み、自己肯定感もとても低かったのだと思います。
今回の退職にあたって、レストランでの会食、お花、バッグ、お菓子、お茶、ストール、各国の人たちからのメッセージをコラージュしたアルバムなど、一度に持てないくらい沢山のギフトを受け取りました。50代半ばで、ようやく自分が認められ主役になったと感じ、心から素直に「嬉しい」と感じました。
ギフトに乗って届く送り手の温かい思い。相手を思いやる言葉。私の中に初めての体験が宿りました。
物質的なことですが、「認められた」「ギフトを受け取るに値する人間だった」と体感することで、自己否定の心がすっと消えていきました。自己価値を上げようとしていくら本を読んでも、頭で理解しているだけだったとも気づきました。
結局、私が仕事にのめり込んでいた原因は、まさにこの自己肯定感の低さだったのです。
人から認められたい、何かギフトが欲しい、という欲求。そのために長年ストレスに押しつぶされそうになりながら頑張っていた私。その喜び、嬉しさを体感して、ようやく本当にその壁を越えたように思います。
2エネルギーの無駄遣い
自分のiphoneと会社のiphone(昔は携帯電話)をいつも2つ持っている生活を長く続けていました。いわゆる「スマホ2台持ち」。
勤務時間以外は会社の携帯は切っておいてもよいのに、24時間反応する生活でした。週末も営業しているスタッフから電話を受けたり、時差のあるパリから届いたメールを深夜に読んで寝不足になったりしていました。
そんな生活を「私は仕事で必要とされている」とさえ感じていました。一種の中毒症状だったのだと思います。
パソコンとiphoneを長年自由に使わせてくれた会社には本当に感謝しています。でもそれは代償を伴いました。鳥籠の中でiphoneに括り付けられて労働を提供し、エネルギーをどんどん消耗していたのです。
春からはiphoneはプライベートのものひとつだけになりました。
それは単に重量だけの問題ではなく、心の問題でもあったのですね。
言葉で表現できないほどの軽やかさ。想像していた以上のものでした。
3「仕事だからダメなの」という印籠
「仕事だから、ごめんなさい。できないわ。」
この言葉で、友人からの旅行や食事の誘い、家族からの頼みごとを幾度となく断りました。
言われた誰もが「仕方ないね」と言わざるを得なくなる絶対的な力を持つ言葉です。
この言葉を発することで、沢山の素敵な体験や家族との思い出作りを失いました。愛より仕事を優先していたということです。
そして今、その執着から離れ、本物の自由を手に入れました。
手放すことにあれだけ恐れを感じていたのは何だったのだろう、と思うくらい毎日自然です。
愛に満たされる幸せな暮らしには「安心と安全」が絶対に必要だと信じ込んでいたけれど、それは思い込みでしかありませんでした。本当の幸せは、自由があることが前提なんだなあ、と気づくことができました。
会社にいる時は絶対に実感できなかった思いです。
スティーブ・ジョブズの最後の言葉を思い出しました。一部抜粋します。
The wealth I have won in my life I cannot bring with me.
私が勝利して得た富は、(死ぬ時に)一緒に持っていけるものではない。What I can bring is only the memories precipitated by love.
私が死ぬ時に持っていくことができるのは、愛情にあふれた大切な思い出だけ。
本当にその通りだと思います。
最後に
4年前にメンターに再会していなかったら、今の私はどうなっていたのか考えるだけで怖くなります。
毎晩愚痴を言いながらお酒を飲んで、健康も害していたと思います。
今の私に導いてくれたすべてのことに感謝したい気持ちです。
メンターとの再会も、紆余曲折しながらのスピリチュアル探究も、会社を辞めることも、私一人が手繰り寄せたものではなく、すべて多くの高次元の存在、メンター、そして私の内にあるスピリットが私をひっぱってくれたからこそ、今が実現しているのだと思っています。
「この法則を20代で知っていたら、人生違っていたなあ」と思う時もありますが、闇があってこそ光があるのです。沢山の闇を体験したからこそ、今の強い光を受け取れるのだと思います。
宇宙の偉大な采配に、今もこれからも感謝。