こんにちは。
今日は最近気づいた自分の癖について書いてみたいと思います。
私は、自分の考えていることがいつも正しいと思っていて、周りの人の自分と違った考えや行動を目にすると、不機嫌になったり正面から否定して戦ってみたり、そんなことをずっと続けていました。いつも悶々と考える日々でした。
仕事の時は、それが変な正義感となって、
と思ったり。時には勝手に不機嫌になったりしました。
最近では、例の「注射」の件で、
と連発していました。
結局そこから生まれたものは「分断」しかありませんでした。
家族の中で、注射を打つ者と打たない者。真っ向から対立し、目を背けることができない状態になっていきました。
なぜいつも後味が悪く、同じ結果になるのだろう。。
気づいたのは、私の『コントロール癖』でした。
自分と違う考え方や行動が、どうしても許せなかったのです。自分がいつも正しいと思っていたから。自分の思い通りに人を動かそうとするエゴが働いていました。自分の尺度で物事をジャッジしてしまうのです。
世の中には自分と同じ考えや行動の人なんていない、みんなそれぞれの個性があるし、考えは様々。正しいとか正しくないなんてない、と分かっているのに、自分と同じようにさせたい願望。冷静に考えてみると、相当勝手です。
そんな時、メンターからこんなエッセンスをもらいました。
『人々の行動が自分と違っていても、ただ、この人はそうなんだな、と見るだけでいいんだよ。そして自分の行動をただ周りに見せるだけでいい。』
私の行動を見て「ノッコさんはこう考えるんだな」と感じて考える人、全く何も感じない人、さらに反発して自分の主張を貫く人、それぞれいると思います。
でもそれはその人の、その時の学びであり、他人がそれを修正しようとするなんて、傲慢以外の何物でもない、ということ。
見るだけ、そして見せるだけ、って実際には簡単なことではない気がします。でも、それができてこそ、本当の家族関係、パートナーとの関係、友人関係が生まれるんだと思います。
このコントロール癖を手放すことは、霊的に成熟した同士のパートナーシップに必要な要素なのではないでしょうか。つまり、これからの時代にクリアすべき課題。本当の自立した親子関係、男女関係のために。
自分が自分で満足できていないから、それを外から埋め合わせしようとして、干渉しすぎてしまうのです。当然そのようなコミュニケーションはうまくいくわけもなく、結果、争いが生まれてしまいます。
振り返ると、私は母に対して、こんな風に思っていました。
昔の会社の上司に対しても、
と平気で思っていました。
だけど、それはなんと、自分を写し出す鏡だったのですね。つまり、自分のコントロール癖を周囲が見せて、気づきなさい、教えてくれていたのです。本当に気づく、ということは、心にストンと落ちる「あ、私、本当にそうだったわ」と感じること。
今回のスピリチュアルプラクティスは、『コントロール癖を手放す』でした。
手放すというより、自分がその癖を持っていたことを自覚して、ようやく解決方法までたどり着いた、というのが正確かもしれません。
そしてその裏に隠れていいたのは、正義感と救世主癖。もっと分かりやすく言えば、おせっかい癖。
近しい人に持っている情報を伝えるのは当然のことです。でも、度を超えた正義感や救世主癖が顔を出すと、お互いの境界線を越えてしまい、対立を生む原因となるのです。
最近は冬至の前だからか、毎日にように自分の不必要な感情が表に出てきます。それをメンターにカウンセリングしてもらいながら一つ一つ浄化する日々です。早く一人で気づき、浄化できるようになりたいと思っています。
ブログを読んでくださる方の中でも、この癖を持っている方、きっといらっしゃると思います。自分がどうなのか分からなかったら、周りにそういう、超干渉人間がいないかどうか、そしてその人に自分はストレスを感じていないか、探ってみてもよいのかもしれませんね。
最近、週の1日を「何もしない日(安息日)」を作りました。
必要最低限の家事以外、何もしない日、自分の好きなことしかしない日です。あれもこれも早くやらないと!と思う気持ちを1日横に置いておくのです。
そんなの無理、、と思われがちですが、掃除機をかけなくても、お料理を手抜きしても体調が悪くなることなんてありません。むしろその反対。
実際にやってみると、
と思うことばかり。
「何もしない日」を作ることを、家族もパートナーも反対どころか、強く後押ししてくれました。特に父はその日は自分のことをできるだけ自分でやろうとします。
ゆっくりと過ごす時間の中で、自分でそれまで気づかなかったことにたどり着くことも多いです。そして周囲が穏やかに幸せなエネルギーで包まれる1日。
何もしない日、安息日は、コントロール癖もない日。強くおすすめします。